新☆なおの湯

FC2の補完ブログです

11〜12月デリまとめ日記

一日2回のオカン訪問も完全に慣れた。

上手く振り分けて睡眠時間もそこそこ確保できてる。

体力よりメンタルだよなー。

オカンもだいぶ元気になってきた。


土曜日は今年最後の出勤だけど前回が実質仕事納めみたいなもん。

11月は1回、12月は2回お茶引いたけど複数ついた日もあるので結果はまずまず。

問題は来年だよ。

本当は年末か年明けあたりに兄がホスピスにって方向だったけど亡くなってしまった。

秋に腎ろうカテーテル入れた時にもしかしたらって気はしたんだけど。


ホスピスに入って医療機関に任せることができたらデリを辞めて少しずつ本業を増やすつもりだったのだけど。

オカンもこんな事になり回復したと思いきや義歯が合わなくなって誤嚥する可能性も出てる。

とりま年が明けたら歯医者に連れて行かねばならん。

義歯は作り直しになるのかな。。。

今ので調整なら2回くらいの受診だけど作り直しになると調整含めて複数回通わないとあかんよな。


1月の三連休過ぎあたりで卒業を考えていたけど、少し伸ばさざる得ないよなぁ。

そうは言っても毎年1月後半あたりから更に苦戦を強いられるんだよなぁ。

二月末には落ち着くといいなあ。

まだワシより在籍長いキャストさんがいるのが救いだよ。

OL時代に続いてデリでもお局様になるのはちょっと。


はー、がんばろ。


※ウメさん、コメントありがとうね。


やっと眠れたー

10月の後半に兄が亡くなった。

オカンの介護と自分の仕事と通院で向こうには行けず、兄の友達のコジマさんに世話になりっぱなしだった。

やっと落ち着いたと思いきやオカンが受診で追加された薬の副作用が強く出てしまい大変な事になった。

先月の最終土曜日、いつものように午後からリハビリデイに行かせたところ傾眠傾向が出始め熱も出てきたと連絡がきてセンター長が単独で送ってくれた。

コロナの検査キットを使ってみたら陰性。

どうやら副作用で倦怠感が出てソファで寝て風邪をひき込んだらしい。

ヨーグルトを食べさせてからトイレ→口腔ケア、パジャマに着替えさせてベッドに臥床させて熱さまシートを貼ってクーリングした。洗濯や片付けをして退室。

心配なので4時過ぎに起きて様子を見に行った。

ドアを開けたら倒れている。ひーっ!!!

トイレに行こうとしてふらついて転倒したようだ。

まだ転倒したばかりで早く来てよかったと思った。

ボディチェックで打撲や傷も無し。嘔気もないのでとりあえずトイレに座らせて下着を替えて手引き歩行で再入床するまえにゼリーを食べさせ白湯を飲ませた。

熱は微熱程度に下がったが血圧がかなり低い。

日〜金は午前中にヘルパーさんが来る。

簡単なメモを残して自宅に戻り2時間ほど寝てからデリに出勤した。

デリの収入ももう少し必要だしね。

精算を済ませそのままオカンのところに向かった。

起きてソファに座ってテレビを観ていた。

安心するもまだまだ心配なので早朝、午後、夜間3回行くことにした。

月曜日、ケアマネさんが主治医に連絡を取ってくれて問題の薬は抜くことになった。

一包化した袋から取り出す作業面倒くさい(涙)

火曜日の早朝は訪室したら鼻血を出していた。。。

鼻の穴を引っ掻いたらしくすでに血は止まっていたけど、再び袋を開け血をサラサラにする薬を念のため抜いた。

その週の水曜日、土曜日のデイサービスはお休みして訪問サービスのみ継続。

ヘルパーさんの申し送りに「家族判断で今週は血をサラサラにする薬は抜きます」と書いた。

自宅近くの仕事もあるのでオカン団地と自宅を何往復しないといけない。

四時過ぎに起きオカン団地に行き早朝バイタル取ってトイレ誘導もろもろして再入床をさせ帰宅→仮眠1〜2時間→仕事→午後オカン団地に行き、夕方から仕事→就寝介助でオカン団地→帰宅は22時過ぎ。

寝るのは24時過ぎ、4時間後には起床する。

1週間続けていたら頭の中がふわふわしてきた。

眠りたい眠りたい眠りたいーーー


頑張った成果が出てオカンは回復。

もう三回は行かなくて大丈夫そう。


翌週はデイサービスも行ける事になり、少し寝れると思いきや、そうだったこの週は水曜木曜は同行援護だった。

眠れないーーーーー


拷問の中で眠らせないやつってこんなかもなぁ。


金曜日の夜デリ出勤は仕事がついて先精算してオカン団地に向かう。

土曜日は朝にリメイクさんの仕事があるけどデイサービスが午後だから帰宅したらまた2時間くらい寝れる。

ぶつ切り睡眠でもしっかり眠れる体になってきた。

こんな自分、すげぇwww


テーブル式コタツにソファなのでテレビを観ながらうたた寝しちゃいがちって事がわかった。

腰に負担も来るし、ちゃんとベッドに寝かせるためには夜は来ないとダメだよなあ。

88才で一人で頑張ってるわけだしね。

それなりのサポートは必要だよね。


慣れたら早朝と夜に訪問するパターンは悪くはないな。

就寝時にワシがいるとオカンも安心するみたいだし。


一番大きいのは兄が亡くなり精神的な負担がかなり軽減された事。

それにバス停降りてスーパーに寄ると閉店間際でなかなかのブツが半額でゲットできる特典もつくと知ったw

ふだん手が出ないフルーツ杏仁が残っていたら迷わず買うよん。


今週は同行援護もないので早朝訪問から帰宅したら昼まで眠れている。

今までの疲れがあるから昼過ぎまで爆睡してるけど、慣れたら11時過ぎに起床、夜はジェットストリームを子守唄代わりに寝るパターンで落ち着きそう。


今日は久しぶりにゆっくりお一人ランチできた。


19年

ずっとお世話になっていた大学病院の腫瘍外来が閉鎖になった。


19年前、信濃町にある某大学病院で手術をして主治医の先生が病院を移ったのでついて行った。

経過観察だけなら同じ先生の方が安心だしね。


癌告知って辛い。

そしてその上を行く辛さがインフォームドコンセント。

脳みその恐怖爆弾が破裂するくらい怖い。

あれは生きるための踏み絵みたいなもんよ。


ワシはちょい珍しいケースだったので、抗がん剤治療もしていないし普通なら五年で経過観察は終わるのだけど、ずっと経過観察をしていた。


仕事に復帰したサラリーマン生活最後の4年半は営業職として毎日終電近くまで働いていたし、脱サラしたあとも介護士とオカンの世話て日々追われていて、しかも今も風俗嬢までやっているんだから我ながらタフだと思う。


7月の受診日に引継ぎ先の病院を探すように言われた。

年齢的にも今後は近い病院のほうが良いとも。

先生の最後の診察で検査をを終えた。

何年か前から検査も一年に一度になった。

先生の外来は火曜日。


(もう火曜日に有給休暇を取らないでよくなるんだ)


地元の婦人科に引き受けてもらえることになったので、その先生宛に紹介状を作ってもらった。

最後に先生に地元の珈琲店のギフトを渡してお礼を言って診察室を出た。


〜先生、19年間ありがとうございました〜


病院へは行きは横浜線で町田から小田急に乗り換え、新百合ヶ丘駅からバス。

帰り道は病院から新百合ヶ丘駅行のバスにのる。

新百合ヶ丘駅は営業職の頃、担当エリアだったので親しみがある。

小田急で多摩センターに出て豊田行のバスに乗る。

病院の予約が午後なので帰宅ラッシュにあたるため、このルートは必ず座れる穴場ルートだ。


どうせなら新百合ヶ丘で思い出に浸りたい。

行きは営業時代にモーニングを食べていたOPAのカフェでホットケーキを食べた。

この店でアイスティを頼むと金魚鉢みたいなでっかいグラスで出てくる。

石原裕次郎のモノマネのゆうたろうが持つ巨大ブランデーグラスよりさらにデカいんだよね。

コーヒーのカップもでかいけど(笑)


検査の帰りは採血のあとフラフラになり、なぜか赤いパスタが恋しくなる。

この数年間は採血をしなくなったけど、今回はドナで良くオーダーしていたスープパスタを食べた。

火曜日は炭水化物まみれな一日だった(笑)


昨日は夕方からオカンのデイサービスの迎えまで何も無いので保健所で帯状疱疹ワクチンのクーポンをもらいに行ってきた。

こうしてワシの日常は毎日過ぎていくんだなあ。



多摩センターのイルミネーション、きれいだよ。